2022年3月に読んだ本

マイケル サンデル,  『実力も運のうち 能力主義は正義か?』, 早川書房, 2021

タイトル通りメリトクラシー批判だと思っていたら、オバマクリントン陣営の敗北をメリトクラシー的なテクノクラートに対する市民の「怒り」によるとする分析がメインで、その議論も非常に面白かった。翻訳は相変わらず読みにくい。解説も、せっかく本田由紀に依頼したのだから(?)もっと紙幅を割いて日本の数字等にも言及してもらいたかった。

工藤啓, 西田亮介, 『無業社会』, 朝日新書, 2014

普通の「若者」が普通の「失敗」をして、一度でも「普通」の正社員になるトラックから外れてしまうと、まず戻ることのできない社会。

待鳥聡史, 『政治改革再考:変貌を遂げた国家の軌跡』, 新潮選書, 2020

積読だったが読んでよかった。平成を憲法体制の(実質的な)変革期と位置づけ、「政治改革」を近代主義というアイデアの「土着化」過程として分析している。近代主義右派/左派という分析ツールも面白かった。

飯尾潤,『日本の統治構造』, 中公新書, 2007

上掲書と並行して読むと、こちらは如何にも2007年、という時代を映していて面白い。

野口雅弘, 『忖度と官僚制の政治学』, 青土社, 2018

神々の闘争(ウェーバー)の只中における「決定の負荷」(←民主党政権の「失敗」の要因?)を回避するためのテクノクラシー純化と政治の「行政」化。カリスマ(シュミット)が求められる一方、政治は論争を回避し、テクノクラート的な「この道しかない」を強調する。

オノレ・ド・バルザック, 鹿島茂[訳], 『役人の生理学』, 講談社学術文庫, 2013

延々と続くフランス風の皮肉には辟易するが、200年前から官僚制がほとんど変わっていない、というのが面白い。NPM的な行革案があったり、国債を刷って予算を2倍にすればフランスは2倍も強くなるわ、という市民感覚もまた不変。

都道府県別 幼稚園の定員充足率

保育所の定員充足率は高止まりが続くが、幼稚園はどうか。令和3年度 学校基本調査の幼稚園の部 表11と12を用いて、都道府県ごとの定員充足率を試算してみた。

www.e-stat.go.jp

結果は以下の通りである。

都道府県別 幼稚園 定員充足率

都道府県別 幼稚園 定員充足率

また、Excelの塗り分けマップの機能を用いてこれを地図にプロットすると、以下のようになった。

都道府県別 幼稚園 定員充足率 地図

都道府県別 幼稚園 定員充足率 地図

 

以上は単純に定員充足率を示しているだけで、幼稚園の経営状況を示しているわけではない。

しかし、保育ニーズは今後も掘り起こされる見込みである一方、幼稚園の基本的な対象となる専業主婦家庭の数が一方的に減少していく中で、幼稚園の幼稚園型こども園への転換は、(社会的に求められるだけでなく)幼稚園の生き残り戦略としても重要性を増していくかもしれない。


 

 

障害福祉における「更生」について

障害福祉の法令用語に「更生」という言葉がある。

刑務所出所者の地域生活定着支援などを意味する「更生保護」ではなく、「更生」である。これは、どういう言葉なのだろうか。

1. 障害福祉における「更生」

戦後すぐに起草された身体障害者福祉法(昭24年 法律第283号)には、次のようにある。

(法の目的)第一条 この法律は、身体障害者の更生を援助し、その更生のために必要な保護を行い、もつて身体障害者の福祉を図ることを目的とする。

(更生への努力)第二条 すべて身体障害者は、自ら進んでその障害を克服し、すみやかに社会経済活動に参与することができるように努めなければならない。

法律第二百八十三号(昭二四・一二・二六)

以上の条文に明らかなように、戦後の障害福祉の文脈で、「更生」という語は「障害者が能力を活用して社会経済活動に参加すること」(スーパー大辞林)を意味している。

とりわけ、以下に示す第十六条においては、経済的自立および生計維持を指して「更生」という言葉が用いられているようである(なお、この規定は今日ではもちろん削除されている)。

第十六条 2 都道府県知事は、左の場合には、身体障害者に対し身体障害者手帳の返還を命ずることができる。

三 身体障害者が更生の能力がありながら、こじき、募金その他正常でない行為によつて生活していると認めたとき。

法律第二百八十三号(昭二四・一二・二六)

さらに、同法には都道府県による「更生相談所」の設置(第九条)や、「身体障害者更生援護施設」の設置(第二十七条)に関する規定が盛り込まれている。

時代がくだり、昭和60年の厚生省社会局長通知「身体障害者更生施設等の設備及び運営について」(社更第四号)別紙 第二章第三 では、「肢体不自由者更生施設」における更生訓練の規定として、医学的更生・心理的更生・職業的更生の3種類が列挙されている*1

このように、時代を経るにつれ「更生」の概念は経済的自立のみを表すものから、理学療法などの医学的リハビリテーションや、「比較的小集団の討論会、演劇、レクリエーション、各種クラブ活動等」(第二章第三の三)による心理・社会生活的なリハビリテーションなども含む概念に拡張されていったと解することができる。

2. 生活保護における「更生」

以上のような「更生援護施設」とは別に、生活保護法(昭和25年 法律第144号)では、保護施設の一つとして「更生施設」の設置が定められた(救護施設・医療保護施設などと横並び)*2

第三十八条 六号4項 更生施設は、身体上又は精神上の理由により養護及び補導を必要とする要保護者を収容して、生活扶助を行うことを目的とする施設とする。

法律第百四十四号(昭二五・五・四)

3. 更生保護における「更生」

さらに、身体障害者福祉法と同年に、犯罪者予防更生法(昭和24年 法律第142号)が制定されている。この法では、「更生」という概念がむしろ「犯罪を助長する反社会的な精神状態から立ち直ること」という意味で使われており、社会防衛的な思想が強く打ち出されている。

(この法律の目的)第一条 この法律は、犯罪をした者の改善及び更生を助け、恩赦の適正な運用を図り、仮釈放その他の関係事項の管理について公正妥当な制度を定め、犯罪予防の活動を助長し、もつて、社会を保護し、個人及び公共の福祉を増進することを、目的とする。

法律第百四十二号(昭二四・五・三一)

4. まとめ

以上のように、戦後の法令用語としての「更生」には、①「障害者が能力を活用して社会経済活動に参加すること」、②「身体・精神上の理由で特別な援助が必要な生活困窮者が保護(公的扶助)を受けること」、③「罪を犯した人が犯罪を助長する反社会的な精神状態から立ち直ること」という少なくとも3つの意味が混在しているようである。

現代では、③の意味の「更生」という語の背後にある、単純化された犯罪理解(=罪を犯した人の社会経済的・生活史的な背景を無視し、怪物的な社会を脅かす存在として他者化すること)自体が見直されつつあるが、いずれにしても、障害福祉および生活保護行政と、犯罪に関わる更生保護行政が、「更生」という同じ用語で語られてきたことは、多くの誤解やスティグマ化を招いたはずである。

①については、現在も更生援護施設(国立更生援護施設情報 |厚生労働省)や、概ねリハビリを意味する更生医療(自立支援医療(更生医療)の概要|厚生労働省)という法令用語に残されており、②も更生施設(更生施設)に残っている。特に②の更生施設については、③の更生保護施設(法務省:更生保護施設とは)との混同が問題になるだろう*3

それにしても不思議なのは、なぜ、終戦直後の立法者が①〜③のように混同されかねない用語を用いたのかという点である。あるいは、①〜③のうち、どの用法が最も当時の用法(原義)に近かったのだろうか。この点について、おそらくは何らかの書籍にまとまった記載があるのだろうが、ウェブ上ではこれ以上の情報を集めることができなかった。今後機会があれば、もう少し調べたいと思う。

*1:この箇所に関しては、以下の記述を参考にした。

特集/社会リハビリテーションの最近の動向 身体障害者更生施設の整備の経緯と社会リハビリテーションプログラムの位置づけ

*2:なお、更生施設についての言及は旧生活保護法(昭和21年 法律第17号)には見当たらない。

*3:これは、更生施設に入所する生活保護の受給者が、あたかも「更生が必要な犯罪者」のように扱われかねないためである。一方、このように語ること自体、受刑者や刑務所からの出所者の被るスティグマを強化することにつながると言える。前述した③の「更生」という言葉の問題点を踏まえ、犯罪理解を更新することもまた必要であるだろう

社会保障財源の全体像②

1. 今日やること

前回は、社会保障財源の全体像をマリメッコチャートで表現した(社会保障財源の全体像① - 社会保障の勉強ノート)。

社会保障財源の全体像(イメージ)実数

社会保障財源の全体像(イメージ)実数

このチャートを使い、日本の社会保障財源についてもう少し分析を深めよう。

2. 税と保険料の財源構成

はじめに、マリメッコチャートを税財源と保険料財源に色分けしてみると下図のようになる。一見して社会福祉分野が税財源で賄われていることや、後期高齢者医療制度介護保険・基礎年金の約半分が公費投入で賄われていることが分かるだろう。

社会保障財源の全体像(税 保険料 割合)

社会保障財源の全体像(税 保険料 割合)
3. 医療保険介護保険・年金保

同様に、社会保険(医療・介護・年金保険)について色分けすると、以下のようになる。

社会保障財源の全体像(社会保険)

社会保障財源の全体像(社会保険

ただし、今後の給付費の予測によると、そのような社会保険の占める割合は以下のように変化する。元となっている内閣府の経済前提の成長率が高すぎることもあり、予測の実数値は信用できるものではないが、給付費の伸びの割合(介護保険が高く、年金が低い)というトレンド自体は信用できるものである。

年金・医療・介護の給付費の伸び率の比較

年金・医療・介護の給付費の伸び率の比較
4. 社会福祉・労働保険の割合

最後に、社会福祉と労働保険の割合を色分けすると以下のようになる。なお、社会福祉の税財源(社会保障分)に占める割合はおよそ25%である。

社会保障財源に占める社会福祉・労働保険の割合

社会保障財源に占める社会福祉・労働保険の割合

また、こうしてみると緑色で示した労働保険の小ささが際立つ。日本は対GDP比の積極的労働市場政策の割合が小さいとよく言われるが、(失業率が低いとはいえ)構造的な労働市場改革が後回しになっていないか、と少し不安になる図である。

また、紫色で示した社会福祉のうち、子ども・子育て分野が占める割合はさらに小さいし、労働保険のうち雇用保険育児休業給付の原資になることを考えると、少子化対策に充てられている予算が非常に小さいことが分かる。このため、例えば年金の財源から一部を(年金制度の持続可能性を高めるものでもあるのだから)少子化対策に回すことができないか、といった方法が検討されうる。

2022年2月に読んだ本

上野泰也,『世界一わかりやすい金利の本』, かんき出版, 2018

為替・株式・債券・短期金融市場と、投資家たちの行動について具体的なイメージができるように。

翁邦雄,『人の心に働きかける経済政策』, 岩波書店, 2021

第5章(40ページくらい)の異次元緩和の説明が非常に分かりやすく、過不足ない感じ。QQEは貨幣数量説的な人々の期待(誤解?)に働きかける政策であり、かつそれに失敗した以上、長期戦は泥沼。その他の部分も、経済的合理人(エコン)とヒトの違いを前提に行動経済学をマクロ経済政策に組み込もうとする意欲作(ただ↓に比べて密度は薄いと感じた)。

翁邦雄,『日本銀行』, ちくま新書,  2013

中央銀行の役割や伝統的金融政策について丁寧に説明した後、非伝統的金融政策について非常に分かりやすく説明している。日銀・ECBが雇用の最大化を目標に掲げていないのは制度史的な背景による。↑の本では省かれている「マネタリーベースの増大が直接的にインフレを引き起こすわけではない」という話を詳しく説明していて、読み応えがある。

早川英男,『金融政策の「誤解」』, 慶應大学出版会, 2016

一番良かった。リフレ派と黒田日銀のどこが問題か、非常に論理的に説明していて、議論もとても分かりやすい。非伝統的政策の本質も掴める。出口問題についても、一番ありそうなケースを詳しく論じてくれている。この著者の著作は今後も追いたい。

岩田一政・左三川郁子・日本経済研究センター, 『金融正常化へのジレンマ』, 日本経済新聞出版社社, 2018

説明が端折られたり、繰り返しが多かったりで読みにくいが、第6章の出口で発生する日銀の逆ざやの試算はかなり詳しく、充実している。第7章のシニョレッジについての議論も勉強になる。
一方、日銀の負債の話に終始していて、出口で生じる財政・国債管理政策への打撃(利払い費の高騰&国債の市中消化が可能かなどの問題)については(タイトルから期待したのと違って)ほぼ論じられてない。もちろん仕方ないとも思うが、金融政策と、国債管理政策を含む財政政策を一体的に論じる人がいないのは問題だと思う。

NHKスペシャル取材班,『老後破産-長寿という悪夢』, 新潮社, 2015 

年金政策は貧困対策。制度があっても使えなければ(使いにくければ)困ってる人の役に立たない。高齢者の心理にとっての、貯金を使い切らなければ生活保護にアクセスできない(とされている)ことの酷薄さ。医療介護自己負担の問題。

ブランコ・ミラノヴィチ, 村上彩訳,『不平等について』, みすず書房, 2012

不平等についてのフレーミングを完全に掛け替えさせる良書。グローバルな不平等のほぼ全て(世界を一つの国家と見たときのジニ係数の約80%)は、(国内における)出身階級ではなく、どの国に生まれたかという要因によって説明される(p.108)。また、世界の所得分布をPPPで取ると、米国の下位5%の所得も世界では上位32%に位置しているなど。

福祉国家内部におけるロールズ的な平等主義はやはり正当化できない。

伊藤公一郎,『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』, 光文社新書, 2017

Eraihito/Episode/Emotion Based Policy Makingにならないように・・。外的妥当性と自己選抜バイアスの問題は、アンケート調査中心の?日本の政策評価の妥当性・有効性を考える上ではとても重要だと思う。

デュフロ・グレナスター・クレーマー, 小林庸平監訳, 『政策評価のための因果関係の見つけ方』, 日本評論社, 2019

政策の「効果」を抽出することの難しさ。例えば純粋な効果と全体的な効果の違い(p.9)や、対照群の被験者への波及効果(p.53)、プログラムからの脱落率やコンプライアンス(プログラムの手続きの遵守率)などの算入の必要性、社会全体でプログラムを導入した場合の一般均衡効果(p.135)など。日本のEBPMの現状は↑のような厳密性の遥か手前にいるような気もするが、大体の考え方が分かったのでよかった。

松岡弘之, 『ハンセン病療養所と自治の歴史』, みすず書房, 2020

愛生園については(長島の歴史館のおかげで)多少知っていたが、邑久光明園の前身である大阪の外島保養院の自治の歴史は本書を読んで初めて知った。解像度が何倍にも高まったと思う。愛生園の元入所者田中文雄(鈴木重雄)の評伝も、大変勉強になった。光田健輔という人物を評価することの難しさを改めて感じる。全生園の記念館の展示も、もう少し充実しないものか。

広井良典, 『持続可能な医療』, ちくま書房, 2018

医療経済学や社会政策論から福祉思想や死生学の空洞化への警鐘まで主題が幅広く、著者らしい一冊。国民医療費に含まれないものへの注目(p.52)、経済発展と平均寿命の相関(p.77)が面白かった。

猪飼周平 編著, 『羅針盤としての政策史』, 勁草書房, 2019

改めて、政策史の視点は重要だと認識。後藤論文は著者の単著の内容をまとめたもの。正史としての医薬分業史を批判し、薬剤師の職能史を専門職アイデンティティの側面から捉え直そうとした赤木論文も卓抜。猪飼論文の日本の医療供給システムの整理(p.260)も、非常に巨視的で分かりやすかった。

笠木映里・嵩さやか・中野妙子・渡邊絹子, 『社会保障法』, 有斐閣, 2018

半年かけて通読。今後も辞書的に使うと思う。

飯嶋和一, 『雷電本紀』, 小学館文庫, 2005

身分制社会の中で時代と戦う人びとを描いた力作。とても良かった。

 

 

社会保障財源の全体像①

 

1. やること

厚生労働省が作成している「社会保障財源の全体像(イメージ)」という資料がある。

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https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/dl/260328_01.pdf

 

社会保障費は「一般会計」以外に年金・労働保険などの「特別会計」を経由し、また補正予算等も反映されるため、いわゆる「当初予算の一般会計の歳入・歳出」を示した(よく見る)円グラフだけでは、その全体像を掴むことができない。また、一部の医療保険の保険料など、国の特別会計を経由しない経費や、地方自治体の自主財源で賄われる費用などもあるため、国・地方・保険者からなる統合政府の歳出・歳入純計を考える必要がある。

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財務省「令和3年度 一般会計 歳出・歳入の構成」

財政に関する資料 : 財務省

それらを網羅的に記載しているという点で、上掲の厚労省の資料は非常に面白く、社会保障財政についての理解を深めるために役立つのだが、厚労省版の「社会保障財源の全体像」には金額の内訳が載っていないという大きな欠点がある(えてして純計は厳密な計算が難しいため、数字を載せることを忌避したのだろう)。

そこで、厚労省財務省の令和2年度決算資料をもとに、同様の資料を作成してみた。ただし、新型コロナウイルス感染症流行の影響をできるだけ反映させないようにするため、令和2年度に積立金や一般会計から巨額の財源補填がなされた労働保険(主に雇用保険)については、令和元年度の決算資料を用いた。

また、金額やシェアの割合を面積で表すマリメッコチャート(面積グラフ)の作り方については、以下のサイトを参考にした。

www.officetooltips.com

 

2. できたもの

各種決算書類等から数字を収集し、社会保障財源の全体像としてマリメッコチャート(面積グラフ)にまとめた。制度・項目間の資金移転については、国の特別会計を経由しているものであっても、元が保険料であれば保険料として参入している(例えば、国民健康保険には健保組合と協会けんぽから財源移転がなされているため、国民健康保険の歳入内訳にも使用者負担を記載している)。また、国と地方自治体の資金の線引きはとりわけ大まかな計算になっている(交付金などが多く、どこまでを自主財源と考えるかが難しいため)。

社会保障財源の全体像(イメージ)実数

社会保障財源の全体像(イメージ)実数

 

さらに、各項目に占める財源ごとの割合をパーセントで示した。

社会保障財源の全体像(イメージ)パーセント

社会保障財源の全体像(イメージ)パーセント

以上のような社会保障財源の全体像からは、パッと見ただけでも、

  • 財源構成における保険料の占める割合が非常に大きいこと
  • 金保険・医療保険が占める割合が非常に大きく、子ども政策に当てられている財源が(相対的に)非常に小さいこと
  • 厚生分野に当てられている財源が大きく、労働分野に当てられている予算が非常に小さいこと

などの情報を読み取ることができるだろう。

とはいえ、このチャートの面白さはそれだけではない。次回は、チャートから読み取れる事柄について、もう少し細かく分析していくことにしよう。

労働統計を使う①:実労働時間あたり実質賃金

 

1 今日すること

日本の賃金は伸びたのか、という問題を考えるために、実労働時間あたり実質賃金の推移を視覚化する。ただし、賃金が伸びているのかというのは簡単なようで意外と難しい問題なので、今回の視覚化は賃金変化の一つの側面に光を当てるに過ぎない。

今回使うのは、厚生労働省の毎月勤労統計調査のデータだ。使う項目は、年平均(CY)・調査産業計(TL)・常用労働者数5人以上(T)で、就業形態別のデータが揃っている1993年以降のものを使用する。

www.e-stat.go.jp

また、以下で示す現金給与総額の平均とは、①期間を定めずに雇われている者、または、②1か月以上の期間を定めて雇われている者、のいずれかである「常用労働者」に対し、名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に通貨で支払うもので、いわゆる手取り(差引支給額)ではなく総支給額を示す金額である。退職を事由に労働者に支払われる退職金は、含まれない。

また「常用労働者」のうち、①1日の所定労働時間が一般の労働者より短い者、または、②1日の所定労働時間が一般の労働者と同じで1週の所定労働日数が一般の労働者よりも少ない者、を「パートタイム労働者」と言い、それ以外を「一般労働者」と言う。

日本では、①期間の定めがなく、②フルタイムで、③直接雇用の労働者を正規雇用者、それ以外の労働者を非正規雇用者と言うが、毎月勤労統計調査の「一般労働者」には「非正規雇用者」の一部が含まれていることに注意が必要である。

www.mhlw.go.jp

 

2 現金給与総額全体の実数データと実質賃金指数

データの揃っている1993年〜2020年の現金給与総額の平均値(常用労働者全体)をグラフ化すると、以下のようになる。これを見る限り「日本の賃金」の実数値は明らかに低下していると言えそうだ。

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念のため、物価変動の動きを控除した実質賃金指数をグラフ化してみても、常用労働者の現金給与総額は一貫して低下していることが分かる。少なくとも、常用労働者の平均賃金の推移を見ると、「日本の賃金は伸びたのか」という問いに対する答えは明らかにNOである。

f:id:metamonz:20220202162047p:plain

しかし、常用労働者のなかでも、フルタイムの一般労働者とパートタイム労働者の賃金水準の間には大きな開きがある。そのため一般労働者とパートタイム労働者の平均現金給与総額の実数値の推移を示すと、以下のようになる。

f:id:metamonz:20220202165135p:plain

それぞれ、増減率を2015年を100とした指数で表し、さらに物価の影響を除いた実質賃金指数を取ると、以下のようになる。

f:id:metamonz:20220202165732p:plain以上のグラフからは、一般労働者も、パートタイム労働者も、賃金水準自体は増加傾向にあることが読み取れる。

それなのに全体の給与総額が下がっているのは、相対的に賃金水準の低いパートタイム労働者の雇用者に占める割合が著しく増加したからに他ならない(1993年の14.4%→2020年の31.1%)。

 

3. 実労働時間あたりの賃金

しかし「日本の賃金は伸びたのか」という問題を考える上では、賃金月額だけでなく、労働時間あたりの賃金の推移を考えることも必要である。

そこで、日本の総実労働時間についてグラフ化してみると、以下のように減少していることがわかる。

f:id:metamonz:20220202171318p:plainしたがって、実労働時間あたりの実質賃金の推移を視覚化すると、以下のようになる。実労働時間に比べて実質賃金の下落が大きかった2013-16年を除いて、常用労働者全体の実質賃金率は下がっているわけではない、ということが読み取れる。

f:id:metamonz:20220202172626p:plain

さらに、同様の分析を一般労働者とパートタイム労働者についても行うと、以下のようになる。この間のパートタイム労働者の実質賃金率が大きく増加していることがわかる。

f:id:metamonz:20220202172013p:plain

一般に、パートタイム労働者の労働供給量の価格弾力性は高いし、元となる賃金の実数値も小さいから、企業にとって労働者の労働量を増やすためにはパートタイム労働者の賃金率を高めることが最も効率的である。

また、企業はこの間、流動性リスク等を恐れて正社員のベースアップに消極的であったから、もっぱらパートタイム労働者の実質賃金率を上昇させることで人手不足に対応しようとした可能性がある。

また、2015年以降は雇用に占めるパートタイム比率が頭打ちになり、そのことがパートタイム労働者の平均賃金を押し上げる効果をもたらしているという*1